「研究者になったきっかけって何?」というツイートがありました。
元ツイでは「できるだけ若い時の」ということでしたが、ぼくの場合は3つくらいありましたので、ここに書いてみようと思います。なお、ずいぶん昔のことも含みますので、思い違いもあるかも知れません。下に出てくるいずれに先生方にも深く感謝していますので、少々表現に問題ありましても、どうぞご容赦を。
(1)中高一貫の学校で、生物の先生に影響された。
ものすごくエネルギーに溢れていた先生でした。もろに「昭和」だったので、「話をよく聞いてくれる」なんて 一切無し(苦笑)。一方的に話されるだけだし、質問してもほぼ通じない(←多少盛ってます)。でも、ぼくが「生物/生命現象」に魅かれたのは確実にこの先生のお陰です。同窓生にも「あの先生にたぶらかされて、この道にハマってしまった」と告白する基礎系のお医者さんや生命科学系研究者が多数います。ただ、「たぶらかす」って言葉は(おもしろいけど)なにか合わないな、、、と感じていました。
数年前、大阪大学の高大連携事業で知りあった高校の先生にその話をしたら、「あぁ、日本の高校に初めて分子生物学の実験を導入されたあの先生なら、もちろんお名前を聞いた事があります。たぶらかされた?それは『生きざま』に触れたんですよ」とおっしゃられて、腑に落ちました。
(2)配属された研究室が物足りなかった。
(怠け者であった当時のぼくに「物足りなかった」という資格は全く無いですし、何より関係者の方がまだほぼ全員現役なので書き辛いのですが。。。)
(1)に書いた理由で、大学では生物系を選択し、とある研究室に配属されました。ただ、指導者であった助教授(今でいう「准教授」)の方が週1日しか研究室にいらっしゃらなかったんです(理由は、、、書けません)。先輩達は頑張っていて、いろいろ教えて下さったのですが、当然ながら今から見れば充分なレベルでは全くありませんでした。
学部学生の頃は「修士を取ったら企業に就職しよう」と考えていたのですが、卒研から同じ研究室での修士課程に進学した後に、「人生一度しかないのに、これでまともな『研究』の機会が終わってしまっていいのか?!」と悩み始め、当初の予定を変えて博士課程に進学することになりました。
(3)博士課程はうまくいった。
というわけで、修士の間に次の研究指導者の方をいろいろ探したのですが、結局、最初に指導して下さっていた助教授の方が教授に上がり、空いたポストにばりばり現役の助教授の方が新しく入ってこられたので、同じ研究室で博士課程を続けることになりました。
この助教授の方、本物の体育会系(実際に大学のとある運動部の主将だった)であり、我々学生に許されていたのは「はいっ!」と「すいませんっ!」の2つだけでしたので(←これも盛ってます)、今からは想像つかないと思います。ただ、ぼくはすごくいい加減にそれまで暮らしてきていたので、その甘えを完全にたたき直し、「プロとして研究を行うためにはどうすればいいのか?」をゼロから教えて下さったのはこの方です。ここでの経験が無ければ、私は「研究っぽいことを行ういい加減な人」で一生を終えていたでしょう。
この博士課程の研究成果をJBCという生化学分野での一流誌に論文として出すことができたので、「自分でもやっていけるんだ!」とある程度の自信を持つことができるようになりました。また、この博士課程で研究した遺伝子が縁となって、米国へ留学することになりました。さらに、博士課程での研究を通して他のいろいろな研究機関の上の世代の研究者の方々と知り合いになることができ、この先輩方とのお付き合いは、未だに私の財産になっています。
まとめると、偶然的な要素が強い(1)〜(3)のどれが欠けても私は研究者になっていなかったと思えます。(生物の先生目当てにその学校に入ったわけではないし、配属先の研究室も当時のぼくの成績が悪かったので、ある意味拾っていただいた。) ただ、これら偶然が別の方向に転んでいたとしても、結局はぼくは研究者を選んでいたような気もします。
いずれにせよ、たった一度の人生です。どうぞ、あなた自身が後悔しないようにして下さい。
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